2010年4月15日木曜日

ミルクカウ・ブルース・ブギー



ミルクカウ・ブルース・ブギー

 1957年、エルヴィス・プレスリーが、サン・レコードで録音した<ミルカウ・ブルース・ブギー>を聴くたびに感じるのは、決意する 瞬間の人間の美しさだ。過去をオールゼロにできる人間の強さと魂の高貴さのすてきが地を這うように響いてくる。

オールクリアできる年齢って限界があるというのが日本的な考えでしょう。最近はそれじゃいけないよって風潮がでてきたようだが、オールクリアすることを恐れてはいけない。

<ミルカウ・ブルース・ブギー>は、「チクショー、こんなことやってられるか」と腹のソコから突き上げる思いを、頭ではなく身体と五感で受け止めて、キラキラ が一層キラキラまぶしく夕日に反射します。

精神と肉体を信じて疾走する人間の解放による恍惚。いかなる不安も、なぎ倒していく痛快が魅力。声とマンブリン唱法とヒーカップ唱法がこれ以上にないはまりっぷり。問答無用のドライブ感が、ふやけた魂に蹴りをいれるかのようだ。これに勝るものは、赤ん坊の泣き声しかないだろうに。

 その後、これほど躍動感と衝撃をもったサウンドは、初期のビートルズとセックス・ピストルズしか 知らない。55年も前の歌が、おそろしいくらいに新鮮だ。<ミルカウ・ブルース・ブギー>は19歳のパフォーマンスであることに驚く。歌っているのは19歳の青年による19歳の精神だ。

 聴く側がいくら年を取っても、エルヴィスの方は19歳のまま。どんな聴き方したって、個人の自由だけど、できれば19歳の精神で聴けたら楽しいはずだ。妙にありそうで、実はない分別で聴くのが、一番身体にも精神にも悪いと思う。年とったって、よほどのことがない限り、19歳と本質的には、そう大して変わらないのが一般的だ。ここは「あんたの白い靴は立派だけれど、オレの青い靴を踏むなよな」の<ブルースエード・シューズ>の精神で行くのがいい。

個人的には、エルヴィスが遺したなかでも、<ア・フール・サッチ・アズ・アイ>がなんといっも、声とスイングの魅力で一番好きだ。だからと言って、「<ア・フール・サッチ・アズ・アイ>はあんまり」といわれても、「あ、そう」で、終われるけど、<ミルクカウ・ブルース・ブギー>の場合は、そうはいかない。<ミルクカウ・ブルース・ブギー>が嫌いという人には、そんならエルヴィス聴くなよ」といいたいくらい入れ込んでしまう曲だ。

バラード聴く分には、癒されてしまえばいいわけですから、心地いいのは当たり前だが<ミルクカウ・ブルース・ブギー>ではそうはいかない。ロックンロール50年の重みは牛何頭分なのだろう。世界中の文化を変えてしまった19~23歳の入隊以前のエルヴィスが発する磁気に付き合おうっていうわけだから半端じゃないエネルギーが必要だ。エネルギーを必要としないサウンドなら化石だ。

♪ 今朝起きて
 ドアの外を見るとおいぼれたミルクカウ(乳牛)がいた
 歩き方見りゃすぐわかる
 
 オイみんな、ちょっと待った、動くなよ
 ここらでちょいと変えようぜ

 今朝起きて
 ドアの外を見ると
 おいぼれたミルグカウ(乳牛)がいた
 歩き方見りゃすぐわかる
 もし俺のミルクカウを盗んでも
 ちゃんと連れて帰って来てもらうぜ
 ミルクもバターもありゃしない
 あの牛がいなくなってから
 おまえにゃよくしたつもりさ
 夜遊びなんかやめて
 脆いてお祈りでもするんだな
 おまえはきっといつか
 この俺が恋しくなるさ
 俺にこんな仕打ちをしたのを悔やむだろう
 
 いくぜ、みんな

 夕闇に
 陽がきれいに沈む頃
 夕闇に
 陽がきれいに沈む頃
 月さえも淋しそう
 ベイビーがいないと
 おまえとうまくやっていこうと一生懸命努力した
 教えてやるさ、俺がこれからどうするか
 プライドを捨て
 おまえをおいて出ていくよ
 信じないのなら俺が何日帰らないか、数えりゃいいさ
 おまえはきっといつか
 この俺が恋しくなるさ
 俺にこんな仕打ちをしたのを悔やむだろう

 (翻訳:川越 由佳氏)


1954年12月20日録音。翌55年1月8日エルヴィス・プレスリーの誕生日にエルヴィス3枚目のシングル盤としてサン・レコードからリリースされた。55年にエルヴィスはRCAと契約、移籍したので、ちょうど録音から1年たった1955年12月20日にbRCAからリリースされた。

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